良くも悪くも、それがあるから自分

私の苦手なことの一つに「人を誘う」という部分がありまして。


「明日一緒に買い物・遊びに行かない?」


なんて超絶ハードルの高い言葉です。


まず第一に

誘うのにどんなふうに声かければいいの! とかそこからのレベルです。


まるで「服を買いに行くための服が無い」的な悩みなんですが.

面白いことに

「ご飯食べにおいでよ!」は全然平気で言えちゃう自分がいます。


なんで同じ誘う。という行為なのに溝があるんだろう?

と思うと

外部に向かうお誘い vs お招きするお誘い

という部分がどうも線引きになっているッぽいです。


外に向けてのお誘いは

「え、あけみんってこんなものが好きなの?」

「誘っておきながら私の事放置してるし」

なんて思われたくない自分が、そこにいるなぁ。

それに引き換え、お招きするお誘い。というのは

完全に私のフィールドに相手を入れてしまうので

「この人は私を自己開示しても良い人」という事で

無理をしない状態と自分が得意と感じ安心安全の世界で、自分主体で采配が振るえる。

という部分があるんでしょうね。


こんな風に極端な二面性がありますが、

そこに善悪を入れず、そんな自分も私を構成する一部。

とジャッジしない自分を受け入れると、いろんなことが急に楽になります。


ダメだなぁ。と思う自分がいるから、良くなろう。という自分を作ることができる。

あの人の方が優れているけど、あの人が気が付かない部分に気が付く自分がいるし。


と極端にどっち! じゃなく0か100かの自分がいるからこそ

その中間にも動ける・実は知ってる自分がいるよね。

ってななって中庸になれたなら・・・

バランスが整っている人ってイメージがわきません?


良い感じに中庸を目指したいですね。

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黒子屋  KUROKOYA

パーソナルコーチ 田口明美こと あけみん のHP コーチ活動や、自身がコーチングを受けてどう変化したのか?といった事 大好きなストレングスファインダーについてのあれこれ。を発信しています。 コーチをお探しの方『こんな人なんだ~』と選ぶ際の参考にしてくださいね。