私が大好きで尊敬しているAコーチの言葉で
「常にコーチであれ」
という言葉があり、私はそれを迷った時に
『これって、私の中の理想のコーチとしてふさわしい?ふさわしくない?』
と自分に問う時があります。
そうすると、自分の中で薄らぼんやりとグズグズしている点が
「セッション中にそれ選択しないでしょう」 とか
「自信をもってセッションでも同じ選択ができるな」とか
「コンピテンシーの基準に準じてないでしょ」とか
明確になる点が好きです。
ただ、常にコーチなんですよ。
時々少しだけ疲れます・・・
どんな時に「この場がしんどい」と思うのかと言えば
誰かが、国籍や人種、宗教思想について侮辱するような発言を
耳にしたり目にしたとき
「今時分の中のエネルギーが激しく削られてるな。その発言を辞めて貰おうか?でもそう思うのは本人の自由なのだから、それも考えの一つとして認めるべきか?」
と悶々とすることがあります。
伝える自由、伝えない自由。有言の抗議、無言の抗議。
それぞれ私には選べる自由がそこにある、そのうえでどちらを選択するのか?
と言っても私言っちゃうんですけどね。
「私そういう発言は横で聞いていて気分良くない、辞めてほしい」
でも大抵
「相手にどうせ聞こえないんだから何を言っても良いんだ。」
「偉そうに、黙れ」
って返ってくるんですよねぇ。
いう人はまず発言する前に考えてほしいです。
それを耳にして、関係がなくても嫌な気持ちになる人が隣にいるかもしれない。
というのを
そして私が言うのは対面時のみです。
文字だと音によるニュアンスまでは伝えられないので
こちらが意図せぬ誤解を招く原因ですから。
でも・・・目で見てもモヤッと感は当然あるんですけどね。
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