私の出来る事・・・

二月前まで私の髪はお尻の中頃までありました。

そこまで伸ばすのに約4年かかりました。

それをサイド長めのショートにカットして。切った髪は

ヘアドネーションしました。

今回で3回目です。

まだまだ世間の認知度が低い時から「私にできる事」として

継続しています。


ところが最近・・・良くも悪くも考えてしまう記事が

ヘアドネーション代表のインタビューとして話題になったので

「ああ、ついに私がヘアドネを継続している理由を書く時がやってきたな」

と思い、ファウンデーションと向き合いつつ書いていこうかなと思います。



私が通った学校は、県内の大変田舎な場所でして。

小学校に上がる際通学するはずだった学校が廃校になったため

山間から町にバスで通学をする。 そんな場所でした。

40年前に廃校。なのでよっぽど人数の少ない場所と察していただけるかと。


そこで新しい校舎と共に新一年生としてスタートしたのですが

その当時学校の担任は「男子は丸刈り!女子はおかっぱ!」という

まるで軍人のような担任でした。


※いま改めて当時の担任の年齢を推察すると・・・

1年だけ担当して定年退職をしたのを覚えているので

当時の定年制度を調べると、80年で55歳定年が60歳に引き上げられていていますね。

終戦時23歳くらい? 場合によっては戦地からの復員教員の可能性もあり得ますね。

だとしたら軍隊形式もまぁ仕方ない。


入学したばかりの私は、それまでほぼ髪を切った経験がなく

風にそよぐ髪にいつも嬉しさを感じていて、柔らかくすべすべした質感が大好きで

自分で髪を梳くのも、あみあみしてアレンジするのも大好きでした。


入学して学校になれる慣れない以前に、その担任は私の顔を見れば必ず

「髪を切ってこい」と大きながなり声で言ってきます・・・

体躯も大柄な先生でしたので、とっても怖かったのを覚えていますし

なにせむかしの田舎の学校。

親の転勤で県内のその場所ではかなり珍しい苗字

最速から買いの対象になり、男の子たちから名前だけではなく

髪の毛のことについてもアレコレからかわれます。


そんなある日事件は起きました。


気になる続きは・・・また次回。

黒子屋  KUROKOYA

パーソナルコーチ 田口明美こと あけみん のHP コーチ活動や、自身がコーチングを受けてどう変化したのか?といった事 大好きなストレングスファインダーについてのあれこれ。を発信しています。 コーチをお探しの方『こんな人なんだ~』と選ぶ際の参考にしてくださいね。