昨日の対になるお話。 昨日の記事はこちら
今日は逆の「私の境界線に入り込まれた」ことについて話します。
境界線に入り込まれる話って「入り込んだかも!」の話よりも、感情的になりやすいので、スマートにまとめるのがむずかいいなぁ~。って白い画面を見ながら悩んでます。
*本日の話は義家族の話ですが、その一部である旦那には「体験談シェアの題材」としての許可を取ってあります。
今いる家には、舅姑の他に義兄がいまして、隣の市に住んでいる義姉が頻繁に来る環境です。
おそらく世の中の同居しているお嫁さん。という立場の7割くらいが「うへぇ!」というような環境かもしれません。
姑とも「スープの冷めない距離だからそれなりに仲良し」とOPENに言い合い、お互いの距離感を分かって良好な関係を作れていたはずでした、が!義父の一声でまさかの同居!
散々ごねまくりましたが、結局一世帯仕様の家に2世帯が住むことに・・・
もちろん、いくら一軒家とはいえ二世帯分の家具を入れるのは至難の業です。が姑が「私たちの思い出の品もあるから、死んだら片付けて」と【こちらのものは捨てる気がない。捨てさせない!】の先制パンチ!
なので、まだ使えるものは知り合いに譲り。捨てるのはちょっと・・・というものは、とりあえず、押し入れにしまって少しずつ片付けていくことに。どうしても入らない季節のものは、外のガレージに保留して押し入れが開いたらしまっていく。という段取りになったのです。
そんなひと月もしない時期に、近くに住む義姉の子(甥っ子)が修学旅行で使うキャリーケースを借りにこの家に来まして。
平日昼間の出来事だったので、私も旦那も、子供たちも誰もいない。
その居住スペースに入り込み、探すために【どこに置いたか分からなかったので、全室の押し入れを開けて姑と甥っ子で探した】
という事後報告を姑から受けまして。
その際姑から「押し入れ詰まりすぎじゃないの、探すの大変だから捨てるお手伝いでもする?」
今でも思わず「クラリ」とくるような怒りと生理的嫌悪感を感じたのを思い出せます。
それと同時に、先の姑の一言でガレージに保留していたものを、舅が私たちの確認もなく
ご近所にあげていた&捨てようとしていたこと。が発覚!
中には私の弟の家に「子供のおさがり」として行くことが決まっていた「共同出資」のものもありましたが、さすがに返してもらうわけにもいかず。
捨てられそうだったものは「今いらないけれど、これがないと冬は越せない。」というものや「ちょっと壊れているけど普通に使うには何の問題もない」ものばかり。
「なんで確認してくれないの!」と怒りましたが・・・
いかんせん昭和の人どころか第二次世界大戦を経験している古い人だけあって「俺が決めたことに口出すな。欲しいところにくれてやったんだ!人の為になることにケチつけるな」で全然こちらの怒りが通じていない。
姑も「お父さんが決めたことに口出すなんて」とこちらの怒りポイントを理解してない。
どころか「誰のおかげでこの家に住めると思ってるの」という始末。
〇十年も自宅として利用し、半月ほど前まで自由に開け閉めしていた場所なので、若夫婦のプライベートな空間になった。という認識が0だったんですね。
以来、何度か似たようなことがありましたので、今は完全同居とはいえ適切な距離を取らせてもらっています。
相手に自分の境界線を越えて無造作に踏み込まれると、いろんなものを踏みにじられたり、破壊されるような感じを味わい、相手に怒りや拒絶を覚えます。
そんな時「この怒りは何をないがしろにされた怒りなんだろう?」と自分と向き合う事で、自分が持っている価値観に気が付くきっかけになります。
嫁vs義家族バトルは進行形ですが。「快適でいられる気の持ちよう」への切り替えでしたらコーチング+体験談でお話しできますよ。
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