前回は「私を苦しめた べきねば」でしたが、今回は変えた方に視点を変えてみます。
クリフトンストレングスで診断すると私は「戦略的思考」がとっても優位時に働くタイプ。
常に自然と沸き上がってくる感情や、衝動にまで「これを言葉で表すとなんだろう?」
とつい考えてしまう。
分かりやすいものだと
誰かに嫌がらせをされたらおそらく大半の人が
「ッムッとした!」
「腹が立った!」
「嫌悪感を感じた!」
「あいつ嫌い!」
なんですが、私の場合は
「この人の行動原理は何だろう?」
「何が目的でこういうことを言うのかな?」
「この話のソースは何に基づいているのかな?」
と思ってしまう。
ずーっと「誰もがそうやって気持ちの整理をしているものなんだ。」
って思っていたし
感情的に泣いたり、わめいたりする人に対して
「自分の心理面もコントロールできないなんて未熟!」
と一線を引いてしまう。 それが長く私の中の常識でありました。
ところがファウンデーションの「べきねば」を学んでいた最中
「本当はすごく感情豊かなんだよね。でもこんなに必死に向き合ってるんだもん、全部感じてたいたら心が辛くて当たりでしょ。辛いからこそ(感情を)切り離しちゃったんだね」
というフィードバックをHコーチから受け
「え?」
とものすごい思考が止まるほどの衝撃を受けたと思った瞬間にブワッっと涙があふれてきましてね。
「慣れ親しんだ思考が全く違う行動をしている!なんだ?これが感情?」
とものすごく戸惑ったのを今でも鮮明に覚えてます。
(ファウンデーションと向き合っているとそれぞれが本当に衝撃的過ぎて、忘れられないものばかりですよ。ほんとに)
これを通して徐々にですが、大きく変化したのが
「他人の前でも涙を流してもいいじゃん」
という新しい価値観。
さすがに「100%人前で泣くことへの抵抗がなくなったのか?」
と聞かれたら「まだ60%は抵抗感あるし!違う理由もあるし!」って感じではあるけれど
以前よりはハードルが低くなりましたよ~
泣いていることをからかわれたり、馬鹿にされたり、「うるさい泣くな!」と感情を押さえつけられるようなことを言われたり。
きっとそういう積み重ねが、ここまで拗らせる私を作る原因の一つだったんだろうなぁ。
って今では思います。
「そっか・・・私って泣き虫だったんだ。あれこれ我慢してきて涙を流さなかった場面が多かったから、大人になった今帳尻合わせで、やたらと涙を流す時があるんだ~」
と客観的にも認識できて、その時わいてくる感情を味わえるように変化。
人と話していてつい目が潤んで「揺れてるなぁ」っていうそんな時にも
「これを話すと目が潤む・感情が揺らいでる」と素直に自己申告できるまでに進化しました。
なので今では、他人が涙を流していても「自分の心に素直で素晴らしい人だなぁ~」
って受け止めることができるように!
私の無意識にあった「べきねば」を指摘されたことで、ありがたいことに私は人間らしい感情を取り戻した。そんな感じがしてます。
ただこれ、不用意に指摘されたりすると
「いや!なんなん?あんた失礼な!これ常識だし!」
って全力拒否される場合もあるので、信頼関係があまりない場合は細心の注意が必要です。
(もしくは相手が「受け取ろう」と意欲的でない場合も・・・)
伝いたいことがある場合は、きちんと相手側の許可を取るようにするのが最低条件です。
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